金城霊沢に隣り合った小さな洞の中に碑文がある。これは前田家第13代斎泰公の命により、臣下の学者津田鳳卿が本文をつくり、同じく学者の渡辺栗が銘文をつぎ、書家の市河三亥が書き記したものである。天保15年(1844)はるばる江戸からこの地に運ばれたと言われ、碑文では湧水量の豊富なこの泉が永く庶民に親しまれてきたことのほか、芋堀り藤五郎について、少し通説とは異なる記述がされている。
金城霊沢に隣り合った小さな洞の中に碑文がある。これは前田家第13代斎泰公の命により、臣下の学者津田鳳卿が本文をつくり、同じく学者の渡辺栗が銘文をつぎ、書家の市河三亥が書き記したものである。天保15年(1844)はるばる江戸からこの地に運ばれたと言われ、碑文では湧水量の豊富なこの泉が永く庶民に親しまれてきたことのほか、芋堀り藤五郎について、少し通説とは異なる記述がされている。
参考文献 「金城霊澤碑文の解説」(昭和39年:津田鉄外喜発行) 「金沢の昔話・民話」(昭和56年:金沢市教育委員会編) 「加賀・能登の文芸-古典編-」(昭和60年:三弥井書店刊) 「日本の民話400選」(昭和61年:金園社刊) 「伝説芋掘り藤五郎」(平成元年:本光他雅雄著/北國新聞社) 「加賀・能登の古典文学」(平成6年:能登印刷出版部) 「金沢市史」その他、多数あり |