北陸の鎮を白山という。雪はその嶺を封じて四時尽きず。その峻、霄に逼る。称して本邦三嶽の一と為す。古よりわが藩の管内に属す。その麓五州に跨る。山脈蜿蜒として北に向かって来り、山埼荘に至りて止む。(中略)
昔、逸人あり。称して藤五という。あらがねを山に採り、この水に淘汰す。故に金沢と称す。藤五、人と為り寡欲にして、施を好みておしまず。けだし藤氏の第五郎、京洛の汾華を避けて、来たりてここに棲遅す。褐を衣て玉を懐き、名を遁れ、あとを晦うし、人の知るを求めず。故に前史の徴するに足る者なし。(中略)
府城の南、檻泉洋溢す。ここにめぐりて沢をなし、よく万物を育す。滋潤膏沃にして涵養竭くる無し。(以下略)
「金城霊澤碑文解説」(昭和39年刊の小冊子)より引用
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