金城霊沢の地理的環境
金城霊沢は小立野台地の突端部に位置する。金沢の町を三分する浅野川と犀川は、原始時代はひとつの大きな川であった。その堆積土砂が小立野台地を造り、地下水に恵まれた肥沃な金沢平野を育てた。台地の先端部は「尾山」あるいは「山崎」と呼ばれ、戦略的にも重要な拠点であった。のちに一向一揆の尾山御坊、さらに前田氏の金沢城が築かれた。
かつて犀川と浅野川が合流していた地点と見られる、
細くくびれた土清水付近上空から見た小立野台地:昭和55年5月撮影
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山崎は「山の先」を意味する。全国どこでも見受けることのできる地名で、一番有名なのは京都の「大山崎」だろう。ちなみに岬(みさき)は「水の先」を意味する。日本語はおもしろい。尾山は「山の尾」であるが、現に卯辰山山麓に「山ノ尾」という地名が存在する。尾山には尾山御坊が置かれたいわれから、敬意を込めて「御山」という書き方をすることがある。なお尾山御坊が現在の城跡にあったと思われがちであるが、兼六園側ではないかという見方もある。